山手西洋館 散策2016.1.5港の見える丘〜石川町

まず「港の見える丘公園」に登山します。展望台へ行く途中に、ジブリ映画で見た、海洋信号旗がたなびく洋館や、関東大震災で崩壊した洋館跡がありました。関東大震災の凄まじさ…。
展望台へ出れば、港からベイブリッジまで一望できる見晴らし良好スポットです。

しかし、青く美しい空なのですが、地上付近の空気の汚れときたら…

宇宙は真っ青ですが… 地上の空気は、こう
宇宙は真っ青ですが… 地上の空気は、こう
広重の構図でベイブリッジを眺める展望台を抜けるといよいよ西洋館群エリアへ入ります。まず見えたのは、ヤシの木がランドマークの「横浜市 イギリス館」。1937(昭和12)年に英国総領事公邸として、鉄筋コンクリート2階建てで竣工されました。現在、1階ホール、2階集会室は市民が利用できるシステムになっています。
「はまみらい」という嘘のような名前の樹が植えてあります。2008(平19)年に横浜開港150周年を記念して、「横浜開港150周年記念のバラ選定委員会」で選定された新しい品種のバラです。150万本植樹行動が行なわれたようです。

横浜市 イギリス館(1937年) 「はまみらい」
山手111番館(1926年)その並びには「山手111番館」(旧ラフィン邸)。設計はジェイ・ハーバート・モーガン、1926(大正15)年の作です。この後に見る「ベーリックホール」の設計も彼の手によるのもです。J.H.モーガンは1920(大正9)年に51歳で来日し、丸ノ内ビルディングなど大規模ビルディングの建設に参画し、その後は日本に永住した建築家です。
現在は1F部分はカフェとして利用されています。
山吹ボディの「山手234番館」は、1927(昭和2)年頃に、関東大震災で横浜を離れた外国人に戻って来てもらうコンセプトで建てられた、外国人向けの共同住宅(アパートメントハウス)だそうです。設計は朝香吉蔵。氏については詳しい解説が見つかりません。
山手十番館の庭園内に建つ「山手資料館」は1909(明治42)年に竣工。横浜市に現存している木造西洋館としては最古の建物です。貴重な和洋併設型住宅です。

山手234番館(1927年) 山手資料館(1909年)ここで教会の脇を入ったところにある「ブリキのおもちゃ博物館」に行ってみました。鑑定団でお馴染みの北原照久氏が館長です。


入館料200円を払い、無数のブリキのおもちゃと対面します。ものすごいコレクション! 北原氏は陽光が照るお庭で、コンピュータを叩きながら伝票をチェック中で、話しかけられませんでした。残念。代わりに、巨大な白い犬が迎えてくれ…ませんでした。自由にどっか行っちゃいました。
ミュージアムショップでお土産に、カレーキャラクターのスプーンを買いました。
エリスマン邸(1926)
ベーリックホール(1930、昭和5)エリスマン邸は、あのアントニン・レーモンドの設計です。F.L.ライトの助手として来日し、その後日本各地にその功績を遺しています。東京女子大学の仕事と並び、エリスマン邸は彼の古い時期の代表仕事となります。W.M.ヴォーリズとともに日本に多く建築が残っている巨匠です。ヴォーリズは以前、滋賀県近江市で建築群を巡礼してきました。
こちらの建物もカフェやホールとして「動体保存」されています。竣工は1926(大正15)年。アールデコ博覧会(パリ)の翌年ですね。

エリスマン邸とベーリックホールの間の細い道を下ると、関東大震災で崩壊した居住地の虚構が残っています。地下部分だそうです。レンガが崩れ落ち、当時としてはモダンなタイルも朽ちています。震災のパワーたるや恐るべし。レンガ造りが地震国に向かないのが解ります。
また、崖=ブラフの眼下、谷底には50mプールが不自然にあります。現在も夏には市民に開放されているそうですが、ちょっと不気味な場所にあります。


憧れのフェリス女学院や意外な中央大学校舎を抜け、山手を尾根沿いに進んで行きます。両側はお金持ちの家が並び立ち、高級車たちがこちらをにらんでいて、つまらん道です。

時折、ここが峻険なブラフであることを感じさせる景色があります。
外交官の家(1910)石川町へ抜ける急坂の私道を失礼して下っていくと、重要文化財の「外交官の家」がありました。明治政府の外交官、内田定槌の邸宅として東京渋谷の南平台に明治43(1910)年に建てられましたが、移築復元のためにこの地へ移されてきました。 設計はアメリカ人のジェームズ.M.ガーディナー。彼の作品は一昨年、明治村に移設された「京都聖ヨハネ教会」を見てきました。


庭側からの景観は、長崎のグラバー邸園の一番高い位置にある「旧三菱第2ドッグハウス」と重なりました。2階のテラスから見える港の景色は、おそらく同じ志からなる建築だと感じます。
アーツアンドクラフツ運動やアール・ヌーボー流行の時期の影響を受けた建築とインテリアが特徴です。
驚きは、重文建築の真下をトンネルが貫き、JR根岸線E233系や貨物EF65が何の疑いも無く滑走している点である。

ブラフ18番館 重文「外交官の家」の真下を行くE233系隣接する「ブラフ18番館」は瀟洒な建物です。関東大震災後に山手町45番地に建てられた外国人住宅ですが、 平成3年に横浜市が部材の寄付を受け、現在地の山手イタリア山庭園内に移築復元しました。震災前の山手45番地住宅の一部部材が、震災後も利用されていたそうです。
山手散歩はゆったりと時間が流れていきました。関東大震災、戦前・戦中・戦後と、横浜は乱世期を乗り越えてきました。開国後この高台は居留地として港は見下ろされ、現在は富裕層が血統書付きの犬を多頭引きで散歩する地区へと変化してきました(彼らが皆カトリックだとしたら合点がいきます)。住み易さはさておき、動物は本能的に高い場所が安全であることを知っています。
西洋人の拠り所である教会やその思想を守るにはうってつけの高台です。イギリス人が価値を高めたこの地には、家族の安全確保と同時に資産ステータスの獲得のために登ってきた日本人もゼロではないと思います。別にいいんですけども、高級住宅が見おろす港と黒沢明監督「天国と地獄」が重なります。劇中、ナショナルシューズ社長役の三船敏郎が狙われてしまう設定も、感情的にはなんとなく解せる気がします。実際に行動に移しては絶対にいけないのですが。
私たち労働者は、僻(ひが)む生き物なのです。その僻みをエネルギーとして働くのが、労働者階級なのです。
気持ちよさと僻みが絡まる、楽しい散歩でした。さて、元町商店街を経由して、中華街へでも出て小さな幸せを探すとするか。いい時間だ。
最寄駅 みなとみらい線「元町・中華街」JR「石川町」(横浜市)