震災の傷跡を訪ねて2012.5岩手県

震災後のお手伝いが目的の旅。行程は…
気仙沼〜陸前高田〜大船渡〜釜石〜遠野
報道写真のスピリッツを学んでいないので、あまりカメラを向けることができなかった。


気仙沼に打ち上げられた第18共徳丸。震災の象徴的な遺跡として残すかどうか議論されたが現在は解体されている。買っていった花を献花した。野生動物は人間の感情をどう感じているかわからないがたくましく生きていた。


傷跡の象徴。写真は実木だがまもなくレプリカ保存になるらしい。力強く、よいうより妻を失ったがんこ親父の心細さを感じた。人や動物だけでなく植物たちも多く失ってしまった。この松は、太平洋とどういう会話をしているのだろうか。

野生動物たちの遺伝子にこの震災は生きているのだろうか。

今回の一番の目的は、お手伝い。手伝った地区は家も墓も壊滅していて、側溝や更地から手がかりとなる現物を探すことや流木やがれきを取り除いて再開できるよう片付けることだった。紙一重で助かった方から震災前のお話などを伺うことができた。自分は携帯電話を見つけ出すことができたが、潮につかった後のものなので記録を確認することはできず、遺品扱いにはならなかったが、使用者のぬくもりがまだあるような気がして、しばらくは頭から離れなかった。


震災後、いち早く営業を再開した大船渡プラザホテルに宿泊。周囲に建物はほとんどない。JR大船渡線の大船渡駅は壊滅、線路と一部ホームらしきものが残っていた。駅前には元気に飲食店や雑貨・服飾のお店が広場を埋めていた。岩手の美味い魚介の店をはしごして楽しむ。




かっぱ伝説が残る不思議な空気感をもつ遠野を散策。内陸なので震災の被害は少なく見えるが、どことなく明るさが少なく見えた。純粋に旅行気分で楽しめたかといえばそうではなかった気がする。しかし静かで空気が澄んで良い土地だった。

遠野に銀河鉄道が走る。鉄ファンが大勢カメラを構えていた。このあとアンパンマン列車も爆走。
実際に行けばいったでいろいろな形でお手伝いはできる。また、現地に行かずともお手伝いはできることもわかった。旅行してお金を落とすだけがお手伝いではない。神戸の震災の時にはなかった感情がある。神戸には何もできなかった。