Pam特殊東海製紙静岡県三島
「原弘と日本のタイポグラフィ五十年展」を観に遥々やってきました。三島駅からバスまたはタクシーで数分です。
建物は坂茂氏の設計、ロゴデザインやネーミングは田中一光氏、といったぜいたくなキャスティングで、2002年にオープンしました。
原弘氏は、1921(大正10)年に東京府立工芸学校(現・東京都立工芸高等学校)の印刷科を卒業し、そのまま同校の教諭に就任。1941(昭16)年3月まで同校で教鞭をとり、東方社に入社することになりました。今では考えられませんが、教員が現場で研究を行なえた時代です。活版印刷、タイポグラフィ、エディトリアル、ロゴタイプ、マークなど、グラフィックデザインに関する幅広い実験・研究・業務を行ってきました。大学と同じレベルの研究が、高校で行なわれていました。
1932(昭7)年には、原弘を中心に都立工芸高校(当時府立工芸学校)印刷科出身のデザイナー達が「東京印刷美術家集団」を結成しました。ちなみにその3年後に、都立工芸高校のライバル校、神奈川県立工業学校(現・県立神奈川工業高校)図案科の出身者で「中央図案家集団」が結成されました。また芸大や多摩美の出身者が続けて団体を立ち上げ始めることになり、そして、すでにトップデザイナーであった山名文夫が代表を務める「東京広告美術協会」など多くの団体が結集し、1936(昭11)年に「全日本商業美術連盟」結成され、大御所・杉浦非水が委員長となっています 。余談もいいとこですが。
東京都文京区の印刷博物館近くにある嘉瑞工房では、今でも原氏が研究に使っていた活字を保管してあります。現在は嘉瑞工房は3代目の髙岡昌生氏が代表となっていますが、私の名刺は髙岡氏に活字を組んでいただいて印刷したのものです。自慢です。
原弘氏の功績を、こんなブログで書くのか? やめておきます。莫大な時間と巨額の研究費を持ち合わせていません(笑)。
展覧会で印象に残ったのは、梶 祐輔がCDを務めた電通の「JR」のCIマニュアル、原弘氏が手書きでロゴデザインしたであろうポスターの数々、その中の国立近代美術館関連の「京橋交叉点 脇」という文字、雑誌「FRONT」です。今回、もしかしたら私は雑誌「FRONT」の実物を初めて肉眼でみたかも知れません。
JRのCIマニュアルは、手に入らないだろうか。もっと多くの方にいろいろな場面で見せてあげたいです。




坂茂氏が設計したPam。明るい開放感ある空間取りをしながらも、ガラスの重なりあいから重厚感も感じられます。水平垂直を活かした造形は、加工前の無垢の紙を意識しているかのようです。トイレの位置に遊び心がありました。ただ、紙を扱うショールームとしては、なるべく日光の乱反射を防いで紙の劣化を止めたいところではないでしょうか。



タント紙がこちらで開発されたとは知りませんでした。原弘氏や田中一光氏も、東海製紙と共同で紙の開発研究にあたったそうです。東京では残念ながら東海製紙の名前はまだまだ知名度が低いので、この展覧会はぜひ東京でも開催していただければと思います。
最寄駅 JR・伊豆箱根電鉄 駿豆線「三島」(静岡県)
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